稲八妻医師茶園

稲八妻医師茶園

宇治茶の確立と初期の景観(室町時代~戦国時代~江戸時代初期)

栄西の「喫茶養生記」以来、茶は薬として重宝されていましたが、茶産地のこの地では、町医者が自宅に隣接して茶園を営み、茶葉を確保して、現在もその茶園跡が認められます。この医者は、豊臣秀吉に馬回りとして仕えた山中又左衛門丞氏清で、武士を捨て稲八妻に町医者として居を構え、近年まで代々町医者を営み、屋敷内に累代の墓石を有します。

住所 619-0244
京都府相楽郡精華町北稲八間北垣外