高尾の茶畑
宇治茶の近代景観(幕末~昭和)
南山城地域は木津川水運を背景に、幕末から煎茶の輸出が盛んになり、これを契機として茶畑が広がりました。童仙房は標高500mの山間の平坦地に明治初期に開墾された集落で、水田と山なり茶園が対をなす素朴な景観が残っています。また、田山と高尾では珍しい縦畝の茶畑が斜面に広がる特徴的な景観を残し、昭和44年の高山ダム建設に伴い造成された今山では他の地区では見られない平坦な露地茶園が広がっています。
住所 | 619-1422 京都府相楽郡南山城村高尾 |
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南山城地域は木津川水運を背景に、幕末から煎茶の輸出が盛んになり、これを契機として茶畑が広がりました。童仙房は標高500mの山間の平坦地に明治初期に開墾された集落で、水田と山なり茶園が対をなす素朴な景観が残っています。また、田山と高尾では珍しい縦畝の茶畑が斜面に広がる特徴的な景観を残し、昭和44年の高山ダム建設に伴い造成された今山では他の地区では見られない平坦な露地茶園が広がっています。
住所 | 619-1422 京都府相楽郡南山城村高尾 |
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