南山城三十三所観音霊場は、江戸時代の貞享年間の頃に相楽郡綺田村(現木津川市山城町)の東光寺に住む如範(じょはん)という僧が西国三十三所観音霊場にならって南山城の三十三ヶ寺を選び、御詠歌をつくって人々に広めました。当時多くの人が参詣しましたが、次第に廃れ、天保6年に井手郷玉水の橘講中(たちばなこうちゅう)が村々に寄進を願い復興のために『巡礼記』を再刊したといいます。時代は明治に移り、神仏分離からの廃仏毀釈と寺院の統廃合により、約半数の寺院が廃寺になります。しかし、それらの観音本尊も最寄りの別寺に移り、巡礼の方を見守っておられます。
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